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そはもとかしこき人の、よく考へて作リ出デたることにて、十に六 ツ七ツは当れるが如くなる故に、世々の人皆これを信用(ウケモチ ヒ)て、疑ふことなけれども、其陰陽は、又いかなる理によりて陰 陽なるぞといはむに、其理は知ルことあたはず。
太極無極などいふこともあれども、それはいかなる理にて太極無極 なるぞといはむに、終(ツヒ)にその元(モト)の理は、知リがた きに落(オツ)めれば、誠には陰陽も太極無極も、何(ナニ)の益 もなきいたづら説(ゴト)にて、ただいささか人の智の測知(ハカ リシル)べき限リの小(チヒサキ)理リに、さまざまと名を設けた るのみにぞ有ける。
抑天照大御神は、日ノ神に坐(マシ)して女神、月夜見ノ命は、月 ノ神にして男神に坐(マシ)ます。 是レを以て、陰陽といふことの、まことの理にかなはず、古ヘの伝 ヘに背けることをさとるべし。
然るを猶(ナホ)彼ノ理に泥(ナヅ)み惑ひて、返りて此レをさへ 其理にかなへむと、強(シヒ)て説曲(トキマグ)るなどは、いふ にも足(タラ)ぬことなりかし。
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若松 久仁光
2013-08-01