若者人口が減りつつあるので私立大学あ
たりでは「受験生の負担軽減」を口実に、
漢文を入試からはずしているらしいが、こ
れは学生あつめのための媚びであろう。
……と、こういうと、学校経営の当事者
は、そんなノンキなことをいうてられまへ
ん、と反駁されるであろうし、何でも昔の
やりかたがよいというのは老人世代の懐古
趣味や、と—言でしりぞけられるかもしれ
ない。
しかし漢文や漢詩を学ばなければ日本の
古典は咀嚼しきれない。かつ、漢文学の簡
潔犀利な口吻、ゆたかな詩精神を知らない
で生涯を過すことは大きい損失である。
−−かく申す私だって、床の間の掛軸が、
よく知っている詩ならともかく、はじめて
のものにぶつかると、読めたためしがない
のだが、中国詩人選などいつも座右に置い
てたのしんでいる。
人の生涯は長いから、どんなものにたの
しみを見出すか、将来のことはわからな
い。いまの若い人たちだって、長く生きて
いればずっと先になって日本古典のよさ
を、漢文学のすばらしさを、思い知るかも
しれないのだ。
そのいとみちをつけてやる−−三味線で
はないが、ほんの手はじめでも馴れさせて
おいてやれば、と思うのである。
受験生がいやがるから入試から除外す
る、入試に出ないから高校の時間配分を減
らす、ということになれば、教養の土台は
全く綬んで、入試テクばかり独りあるきす
ることになってしまう。
しかし、教養というものは、まわりくど
いものなのだ。いつ役にたつかわからな
い。そういうものの積み重ねで、気の遠く
なるほどの長い時間と人生の滴りが、人間
の裡なる壷に落ち、貯められてゆくもの
だ。それを教養というのだ。外国語みたい
に目にみえて進歩する、というものではな
いから速効性のコーヤクばかり貼りたがる
現代の若者にはまどろこしいであろうが、
オトナまで彼らに媚びてはしょうがない。
もっと気宇壮大になってほしいなあ。怪
しげな邪宗に集うエリート青年たちの、ツ
ルンとした顔を見ていたら、こりやー古典
教養には縁のない顔だなあ、とつくづく思
ってしまった。じっくり「源氏物語」や
「平家物語」をたのしみ、李白杜甫の詩に
共感する時間、まわり道をする時間をもつ
人生であれば、もっと何かをつかんでいた
ろうにと、私は空虚な詭弁をぺらぺらし
やべっている青年の顔をみながら痛感し
た。
まわりくどい教養を若者たちに持たせて
ほしい。入試にふりまわされないでほし
い。