「 象徴主義」とは、連想と記憶を媒介とする様々な性質の普遍的な照応を
可能にする世界を築くこと。
従ってあいまいで、時には反対の感情すら共存し、多価 多義を内に持つ言語
であり、同音のもつ多くの意味を自由に解釈することを許す。
すべての解釈は、どれも同じく一つの真実であるから、その一つを自分の気
分や、 気質に応じて選べる。作品の持つ「暗示の力」が、生命の目覚めと自
然の 奥深さを 教える。 それは現ならず美しく、暗示的で束の間にうつろい、
たえず 変化し、 同じ形のままでいることがない。
中身の詰まった現に確かな手ごたえと言うよりは、存在しないような、どこ
か 客人(まろうど)のような姿と魔力を 持つ神秘の記号と照応する。
象徴と象徴主義は、起源を呪術の内に持つ。
「目に見えるものは、見えないもののイマージュである」紀元250年頃、パリの最初の司教である聖ドニの言葉である。
中世では、自然とはそれより高い秩序に属する現実の象徴にほかならない、
という信条に支えられていた。
「救いは理にかなった生き方のうちに在る」と説く、プロテスタンティズムは
フランス革命のあと全ヨーロッパに広まった。
だが、理性はすべての問題を解決できはしなかったし、あらゆる神秘を明らかに
することも出来なかった。人間と世界の仲違いは世紀末、精神的な深刻な危機を
もたらした。 全19世紀を通して新たなる価値を見出そうと詩人達が動いた。
ドイツロマン派(ノヴァーリス、ジャン・ポウル、ホフマン、アルニム)
やがて英国の詩人(ブレイク、コールリッジ、シェリー、ポォ)に拡がり、
ついにボォードレールによってフランスへと達する。
『世界との失われた一致をもう一度見つけだしたい』 これが彼らの心の叫びである。
「 詩の一つ一つが、内容を述べることの傍らで、象徴主義の萌芽はこのように、シラーに於てすでに見られる。
その形態に於ても又感情の翻案であり表現であり、
私達に音楽的な効果を及ぼすようにと望んでいる 」 シラー
「音楽からその財産を取り戻そう」と言ったヴァレリィのこの言葉は、音楽が知性を発動させ感受性を刺激し目覚め
|
象徴は、現象をイデーに変え、しかも観念(イデー)を心象に変える。しかも 心象のうちに在って、観念が果てしなく働き続け、捉えがたきものに統括する。 どんな言語で述べても表現しきれないもの。 ゲーテ Goethe |
| 「詩人はそれを言い表す為に、言葉になっていなかったものを私たちに暗示する」 Bergson |
つまり、芸術上の象徴とは、思考と感情の動きを指し示す「意味の伝達手段」
しかも、芸術家が慣例の型にはまらない類推をして表現する事で意味をなす。
近代象徴主義は、
主観性を作品の主題の中に含ませる。
次第に、何を描くという表象性のない純粋芸術へ移行して行く。
|_____(別ルート 印象主義へ)
綜合主義と呼ばれる動きであり
芸術家に、自然を変形する自由が与えられる。
この 《自然を変形する自由》こそ近代の抽象化への第一歩なのである。
| 知性を発動させ、感受性を刺激し目覚めさせる 記号達の具象的で動的なシステムの一つ。 |
音楽においては
「響きそれ自体で楽しませようとする」
そのことは図形的〓視覚記号的な現象ではなく、
耳と呼ばれる器官の為に音楽が有り、実際に聴くことが何よりも大切である。
始まりもしなければ終わりもしない音楽。
沈黙から浮かび出て、前置き無しに流れ出し、
その流れの糸は、夢の中で紡ぎ続ける。ドリームウィーバー。
象徴主義に於ては、世界の一瞬を捕らえ提示する。
不動の瞬間。
こちら側に立つものが、言うに言われぬもの、
何か解らぬものと出会う一瞬。
闇と光の出会う一瞬。
言葉の黙した中から自らの魂に向かって問う、『間』。
『魔』の時間(とき)でもある。
時間が訪(と)う。 自分だけに言えることを表現する。
この世界を象徴主義の世界と呼んで良いだろう。