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03 『古事記傳』十一之巻読破
和綴じ本『古事記傳』十一之巻まで読破。
九之巻から大国主命が登場するが
十之巻十一之巻と続き十二之巻へ
入ると大国主命の妻と子供の関係が
多岐に亘りだんだん判らなくなって
来たので十二之巻を読み進む前に
大国主命の関連図を作り始めた。
この親子関係も含めたツリー構造は
LaTeXで書くのは大変そうなので
Illustratorを使用して作成し、何れ
ホームページ上にアップする予定。
さて前回八之巻までの読破を書いたが、
九之巻67頁を3日 十之巻72頁を2日で
読破出来るまでのペースが出来てきた。
十一之巻は81頁で文字が大きな場合は
一ページ当たり2分というペースで進む
事も有ったが平均して4分/頁と云う所。
十之巻では平均5分/頁だったので、
読み慣れているという事なのだろう。
九之巻で既に平均所要時間5分/頁に
突入しているので漸く『本居宣長』の
文体にも馴染んできたとも云える。
昨日本居宣長の源氏物語を解説している
和綴じ本『玉の小櫛』を、開いて眺めた。
当初の[読めない]から、何とか[読める]
という風に気持ちが落ち着いてきた。
本居宣長の研究態度が『音楽家と同じ』
感性で時代考証などをしてくれている。
この事は『音楽家』としての教養を、
更に深めて貰え、栄養にしていく為の
かけがえのないチャンスと思い、毎日
本居宣長の世界を研究させて貰っている。
曲の構造を理解する為に分析をするのだが
本居宣長の研究態度はその中の枝と幹とを
切り分ける作業を十分示してくれているし
何より一番感じるのは『現場主義』の態度。
今、正に目の前で繰り広げられている世界を
丁度目の当たりにして接しているかのような
『血の通った』とでも言って良い程、物への
『真摯な見方』そのものが、一番美しく輝く
その瞬間を画像に納めるような『冷静な眼』
一つ一つの『詞』への吟味は、音楽家が腐心する
一つ一つの音への接し方と全く変わらない。
今読み進めている『古事記傳』が本居宣長にとり
どの様な位置づけを意味するのかは、現段階では
余り興味がない。
というより、44巻総て読んだ後に自然と出てくる
物と考えているので、今は敢えて宣長の書き出す
『熱い語り口』の方にのみ心を置く事にしている。
自分自身に感動がなければ、書いた人へは
接近、肉薄は出来ないと思っている。
本居宣長の研究を行っている人達が、単なる
文献や読み物としてではなく『生きた人間』
そのもの『本居宣長』本人と対峙してくれる
事を今は望んでいる。
また『古事記』が語られた[その現場]に
居合わせると云ったような態度で、耳から
『古事記傳』を聞くようにして貰いたい。
『古事記』の本文の引用は、なるべく
原文のまま『本居宣長』が振ってくれた
読みに従って『声を出して』読み進めている。
『古事記』や『古事記傳』は
『声を出して読もう!』
この事で文体や神々の世界を現そうとした
『太安万侶』が聞いたであろう『詞の世界』を
追体験出来るように思う。
きっと『本居宣長』も声を出して読んでいた(?)
のではないか?
その事があるからこそ『これはわろし』等の
言葉に対する納得のいく選択が必要だったように
思える。
さて、皆様はどうお考えですか?
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