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『古事記傳』十一之巻読破

 和綴じ本『古事記傳』十一之巻まで読破。

 九之巻から大国主命が登場するが
  十之巻十一之巻と続き十二之巻へ
  入ると大国主命の妻と子供の関係が
  多岐に亘りだんだん判らなくなって
  来たので十二之巻を読み進む前に
  大国主命の関連図を作り始めた。

 この親子関係も含めたツリー構造は
  LaTeXで書くのは大変そうなので
  Illustratorを使用して作成し、何れ
  ホームページ上にアップする予定。

 さて前回八之巻までの読破を書いたが、
  九之巻67頁を3日 十之巻72頁を2日で
  読破出来るまでのペースが出来てきた。

 十一之巻は81頁で文字が大きな場合は
  一ページ当たり2分というペースで進む
  事も有ったが平均して4分/頁と云う所。

 十之巻では平均5分/頁だったので、
  読み慣れているという事なのだろう。

 九之巻で既に平均所要時間5分/頁に
  突入しているので漸く『本居宣長』の
  文体にも馴染んできたとも云える。

 昨日本居宣長の源氏物語を解説している
  和綴じ本『玉の小櫛』を、開いて眺めた。
  当初の[読めない]から、何とか[読める]
  という風に気持ちが落ち着いてきた。

 本居宣長の研究態度が『音楽家と同じ』
  感性で時代考証などをしてくれている。
  この事は『音楽家』としての教養を、
  更に深めて貰え、栄養にしていく為の
  かけがえのないチャンスと思い、毎日
  本居宣長の世界を研究させて貰っている。

 曲の構造を理解する為に分析をするのだが
  本居宣長の研究態度はその中の枝と幹とを
  切り分ける作業を十分示してくれているし
  何より一番感じるのは『現場主義』の態度。

 今、正に目の前で繰り広げられている世界を
  丁度目の当たりにして接しているかのような
  『血の通った』とでも言って良い程、物への
  『真摯な見方』そのものが、一番美しく輝く
  その瞬間を画像に納めるような『冷静な眼』

 一つ一つの『詞』への吟味は、音楽家が腐心する
  一つ一つの音への接し方と全く変わらない。

 今読み進めている『古事記傳』が本居宣長にとり
  どの様な位置づけを意味するのかは、現段階では
  余り興味がない。

 というより、44巻総て読んだ後に自然と出てくる
  物と考えているので、今は敢えて宣長の書き出す
  『熱い語り口』の方にのみ心を置く事にしている。

 自分自身に感動がなければ、書いた人へは
  接近、肉薄は出来ないと思っている。
 

 本居宣長の研究を行っている人達が、単なる
  文献や読み物としてではなく『生きた人間』
  そのもの『本居宣長』本人と対峙してくれる
  事を今は望んでいる。

 また『古事記』が語られた[その現場]に
  居合わせると云ったような態度で、耳から
  『古事記傳』を聞くようにして貰いたい。

 『古事記』の本文の引用は、なるべく
  原文のまま『本居宣長』が振ってくれた
  読みに従って『声を出して』読み進めている。

 『古事記』や『古事記傳』は

 『声を出して読もう!』

 この事で文体や神々の世界を現そうとした
  『太安万侶』が聞いたであろう『詞の世界』を
  追体験出来るように思う。

 きっと『本居宣長』も声を出して読んでいた(?)
  のではないか?

 その事があるからこそ『これはわろし』等の
  言葉に対する納得のいく選択が必要だったように
  思える。

 さて、皆様はどうお考えですか?
 

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