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04 古事記伝 三十一之巻
『古事記傳』三十一之巻を読み始めた。
神功皇后が新羅へ遠征し
新羅国を馬飼と定め、百済國を
海向こうの天皇の領地と定めた。
その後、大和に帰り上る際に、
香坂王(かごさかのみこ)と
忍熊王(おしくまのみこ)が
神功皇后を亡き者にして、
自分達が支配しようと企てた。
企てが失敗し、琵琶湖に身を投じて
死んでしまった。
と言った事が、書き始められている。
新羅を馬飼として定めたと書かれていたので
馬韓という名称を以前習った事があった。と
気がつき、そのまま古事記傳を読み進む内に
宣長の説明に馬韓やらその他の韓国の昔の
呼称が多く出てくる。
今はもう任那(みまな)と云う名称を教科書で
居るのかどうか取らないが、
白村江(はくすきのえ)すら、日本の歴史書に
載せては居ないようなので、古事記傳を読んでも
又、原本の『古事記』を読んでも、(現代語訳で
あったとしても)言葉の意味やその固有名詞の
歴史的な意義は、想像も付かない状態になって
いるのでは無いのか? と少し不安を感じる。
三韓の征服は、落語の中でも[まくら]で語られ
おおよその流れは聞きかじる事が出来る。
志ん生や金馬の語り口には、感心させられる。
皆さん!
落語を聞いて日本文化の再発見をしませんか?
おっちょこちょいの[熊さん][ハッつぁん]
達だけが、落語に出で来る訳ではないのです。
講釈師のような語り口も上手い御両人の
落語を聞いてみる事をお薦めします。
それから『古事記傳』を読むと、又面白い
本居宣長の茶目っ気振りも、垣間見えてくる。
古代『小さい石』だったものも時代が進むに付け
『大きな石になる』事だって有るでしょう?
と言った風のいたずら心も少し持った宣長です。