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古事記伝 三十一之巻

 『古事記傳』三十一之巻を読み始めた。

 神功皇后が新羅へ遠征し

 新羅国を馬飼と定め、百済國を
  海向こうの天皇の領地と定めた。

 その後、大和に帰り上る際に、
  香坂王(かごさかのみこ)と
  忍熊王(おしくまのみこ)が
  神功皇后を亡き者にして、
  自分達が支配しようと企てた。

 企てが失敗し、琵琶湖に身を投じて
  死んでしまった。

 と言った事が、書き始められている。

 新羅を馬飼として定めたと書かれていたので
  馬韓という名称を以前習った事があった。と
  気がつき、そのまま古事記傳を読み進む内に
  宣長の説明に馬韓やらその他の韓国の昔の
  呼称が多く出てくる。

 今はもう任那(みまな)と云う名称を教科書で
  居るのかどうか取らないが、
  白村江(はくすきのえ)すら、日本の歴史書に
  載せては居ないようなので、古事記傳を読んでも
  又、原本の『古事記』を読んでも、(現代語訳で
  あったとしても)言葉の意味やその固有名詞の
  歴史的な意義は、想像も付かない状態になって
  いるのでは無いのか? と少し不安を感じる。

 三韓の征服は、落語の中でも[まくら]で語られ
  おおよその流れは聞きかじる事が出来る。

 志ん生や金馬の語り口には、感心させられる。 

 皆さん!

 落語を聞いて日本文化の再発見をしませんか?

 おっちょこちょいの[熊さん][ハッつぁん]
  達だけが、落語に出で来る訳ではないのです。

 講釈師のような語り口も上手い御両人の
  落語を聞いてみる事をお薦めします。

 それから『古事記傳』を読むと、又面白い
  本居宣長の茶目っ気振りも、垣間見えてくる。

 古代『小さい石』だったものも時代が進むに付け
  『大きな石になる』事だって有るでしょう?
  と言った風のいたずら心も少し持った宣長です。

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