8
17
古事記伝『をこなり』について

 古事記伝の一之巻を読み返している。

 是で三度目なのだが、色々な疑問が湧き出てくる。

 一之巻八十四葉の『をこなれ』に関する事である。

 烏滸と書く事は以前書いたが、この『をこ』を

 調べていたら[江戸時代には使われなくなった]と

 ウィクペディアに書かれていた。

 最も『烏滸』を

 これに対して単なる愚鈍な者を「バカ(馬鹿)」と
  称するようになった。

 つまり[江戸時代になると、烏滸という言葉は用いられなくなり、
      馬鹿という言葉が広く用いられるようになった。]

 此処に書かれている『江戸時代になると』という記事がどれほど
  信憑性が高いのか判らぬが、是が事実とすると宣長の作品の中に

 『いとをこなれ』と書いた真意は?

 当然『漢意』を持った人々へ向けられていると考えられる。

 『問われて名のるもおこがましいが』という台詞が有る
  通称白波五人男と呼ばれている演目の
  『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなのにしきえ)』

 是が初演されたのは1862年3月なので

 1798年に『古事記傳』が完成していても、一般庶民が
  『をこ』という言葉を使う根拠にはならないと思える。

 2013年7月24日に仮説として『をこ』は一般庶民もこの言葉を
  理解していたのではないか?という事は却下と言うことになり

 やはり、当時の儒者やその周辺の儒学を学ぶ人達へ向けての
  メッセージという夢合いが強いように感じている。

 『をこ』という言葉を使用した例は

 源氏物語の夕顔の巻、乙女の巻などにも見られ

 特に『乙女の巻』での式部による論いは、博士と
  呼ばれた人達への批判でもある。

 夕顔の巻の『ありありて、をこがましき名をとろべきかな』と
  書かれている所とは少し言葉の調子が異なる。

 『解釈者としての本居宣長』と云ったようなタイトルで
  クヴァンツと本居宣長を取り上げたいと思っている。

 かたやフリードリッヒ大王(啓蒙専制君主)と呼ばれた
  国王に、もの申せる唯一の人であった音楽家。

 彼が書いた『フルート試論』の方法と、
  宣長の『古事記傳』の方法論を並べてみたいと
  考えている。

Categories: 古事記伝 , 日々の事 , 本居宣長